抜歯と禁酒

30代、会社員、酒、本、バンギャ。

定量的に考えることの大切さ

昨年、勤め先の住宅に関する制度が変更となり、わたし個人にとっては手当的なものが減ってしまうことになりました。

 

なんとなく「実質の手取りが減るやんなー」と思ってはいたのですが、まじめに計算しないままにしておりました。

それではいけんよね、と急に思い立ち、このままこの会社に定年まで勤めたとして、精度変更前と比べていくら手取りが減ってしまうのかを計算してみました。

 

計算した結果の額面を目にしてかなりのショックを受けました。

 

お金を補充したいと思いますが、人事に聞いたところ副業を解禁する予定はないそうです。

来年、人事制度が変わって給与のベースがあがるようにはなるらしいですが、その上がったぶんで相殺できるのだろうかと思ってしまいます。

 

小さい不満はあるものの、知っている人も増え、できることも増え、そこまで居心地が悪いわけではないので即刻やめるとかはないものの、そういうショックスな金額をわたしのお財布から勝手に抜くようなことをする会社ってどうなのと思いはじめました。

 

しばらくは自分がやりたいことや行きたい場所を探す期間にしようと思います。

食べたいものを食べたいときに作れる能力

先日、柚木麻子「さらさら流る」を読みました。

「生い立ちゆえに抱えてしまったトラウマとかコンプレックスとかあってしんどいのはわかるけれども、それに甘えて他人をいじめたり攻撃したりしてはいけないし、そういうものがない恵まれた人が劣ってるわけではない」ということをえぐるように書いてあり、自分の心の弱い醜いところを撃ち抜かれるような気持ちがしました。ほとんど死ぬかと思いましたが、なんとか死にませんでした。

私は自らのコンプレックスから、それがなさそうに見える恵まれた人に対して、いじわるな気持ちを抱えるのは内心の自由だし、実際にそれを本人に伝えたり、危害を与えたりしなければそれでいいよねというスタンスです。 

 

そのあとで同じ著者の「BUTTER」を読みました。

木嶋佳苗がモデルとなっている連続殺人の容疑者を追う新聞記者 が主人公です。

「あーもう絶対わせじょやん、しかも出身が女子高の一番エッジ立ってる人だろ」と思いながら、ハラハラしながら読みました。

わせじょに限らず、高学歴と言われる女子には、仕事ができ、見た目もよく、性格もいいのになんか自己肯定感が低いという人がたくさんおり、この小説の主人公はそれと取っ組み合いの格闘をするわけです。気になる方は本を読んでください。

 

最近は自己啓発とまではいかないまでも、自己肯定感を高めるための勉強や作業をやっています。

家族の中での長女という役割、会社員としての役割、昔までさかのぼれば学生という役割などに自分を適応させまくってきた挙句に、自分の心にいくつものプロテクトがかかって、何がしたいのか、何が幸せなのかを見失っているように感じることが多くなってきてしまいました。

あんなにがんばってきたのに、家族はばらばらになり、実質の給料は下げられ、仕事をしないクソ上司のほうが給料が高く、好きなバンドは解散してしまいました。

これまでの過度な適応は生きていくためにやるしかなかった部分もあるので、その選択に後悔はないけれど、自分がやりたいことや自分の幸せだと思うことにつながってないがんばりだったのではないかと思っています。

何らかの役割をこなせているからOKという条件付きの肯定ではなく、なにもちゃんとできないダメな自分を受け入れないと自己肯定感は持てないのではないのかというところにたどり着きつつあります。

そのために何をやるのということですが、まずは自分を見つめなおす作業をやっていきたいと思っています。

いろいろなことをやってみて、そのときの気持ちや心の動きをよく見つめていきたいと思います。そして嫌なことや生産性のない向いていないことはなるべくやめていきます。

30年以上やってきた考え方の型や習性のようなものを変えるのは、ちょっと大変そうだなあというのが素朴な感想ですが、ぼちぼちがんばります。

わたしの好きだったあの人はもうどこにもいないのかもしれない

だいぶブログが滞っておりましたが、例年にない寒さの中をかろうじて生きております。

 

部署が変わり仕事の内容・量ともに様変わりしました。

忙しい時期とそうでない時期に濃淡があるようで、今のところは忙しくない期のため、いつでも飲みに行け、かといって大幅に給料が減るわけでもなく喜ばしいかぎりなのですが、切った張ったの世界にすっかり染まっていた身として、戸惑いというかなじめない部分が否めません。

前回の異動と同じように、わーわー言いながらも、そのうち慣れるのでしょうが、これまでとはまったく違った視点から会社のを眺めるのも悪くはないと思っています。

 

鈴木涼美の本と投資の本を読みまくっております。

「頭のてっぺんから爪先までお金に換えられるという誘惑」とか「それをやるもやらないも心もち一つでしかない」だとか、はっきり言われてしまうと、そんなこともないと思うよ?という気持ちと、「あなたは女性性をまったく利用しないで生きてきたんですか?」とか「何らかの便宜を得たいとかスムーズに物事を進めたいという計算なしにおっさんにニコニコしたときが一回もないんですか?」などと、わが内なるブルゾンちえみが叫びだすのです。

 

投資はまじめに始めて1年程度経ちます。老若男女関係なく、個人投資家という意味では同じ地平に立って、それぞれに勉強して得られた情報のなかで意思決定をするわけで、ある意味非常に公正だな~と思います。

資源価格を見るかぎり、今の好況は今年後半から来年くらいには一息つくのかなと思っています。

 

明日、セクアンのボーカル雄大さんの新バンド「ザ・シンナーズ」のライブへ行ってきます。白塗りをおやめになってしまわれ、音楽もゴリゴリのパンク寄りということで、「あなたのことを深く愛せるかしら」(スピッツ『冷たい頬』)どころではなく、セクアンが終わってしまったということを突き付けられてズタズタに傷つくかもしれないという不安に苛まれておりますが、雄大さんが生きていてくれればそれでいいし、音楽を続けてくれればなおさらいいよねという気持ちもあり、ぐるぐるしております。

つらいときもあるけれど好きなものがあるっていいよね。

鶏肉をトマトソースで煮る

今日は夏休みであった。

 

まゆげをむしってもらうお店でまゆげをむしられ、歯医者へ行った。

歯医者にて前回は歯の磨き方が甘いといって怒られたが、今回は褒められてよかった。

 

確定申告のときに医療控除ができるかどうかわからないがとりあえず病院関係のレシートをとっている。たまに風邪をひくのと歯医者での定期健診しかないため、たぶんできない気がしているが、一度確認してみようと思う。

 

夜に鶏肉と玉ねぎとマッシュルームとオリーブをトマトソースで煮る料理を作り、ワインを少しだけ飲んだ。

 

「セシルのもくろみ」を見た。

おもしろかったし、好きなテーマなのだが、脚本が悪いのか役者の問題なのかセリフが説教くさくなりすぎなところがあったのがよくなかったと思う。

 

明日はブロッコリーを切り刻むのと英語の勉強をするくらいしか決まっていない。

あなたに捧げた日々を返せとは言わない

2017年7月19日をもってSEX-ANDROIDが無期限活動休止に入りました。

 

冷静に考えると自分の好きな要素(ロック、パンク、昭和歌謡、MCはゆるくテレビやゴシップネタ中心でユーモアにあふれているが、演奏はむちゃくちゃかっこいい)がてんこ盛りになっているバンドだと思うとともに、似たようなバンドはもう出てこないと思います。

 

6年ちょっとのファン生活でしたが、いつでも見に行けるという気楽さに安住していたことが、彼らを活動休止に追い込んでしまったのかもしれないという後悔も感じています。

 

わたしの推しはボーカルの雄大さん(ファンは「雄大かわいい」、もしくは「カリスマ」と呼びます)なのですが、見た目や声質、歌い方の癖が個人的なツボである一方で、昭和のロックスターみがすさまじく、堅気の仕事はつとまらなさそうなところや、お酒を飲んでステージにあがるところ、大きい会場にびびって情緒不安定になりエア赤ちゃんをあやし始めるといった、ときおり垣間見られる弱さが強烈な色気やかわいさとして現出しており、ステージに立つしかない、芸人としてしか生きていけないような危うい雰囲気がとても好きでした。

 

 

この6年ちょっとの間は自分が大学を卒業し会社員となって過ごした期間とちょうど重なっています。

会社で起こったいいことも悪いことも、彼らの音楽やライブとともにありました。

つらいことばかり思い出されますが、ここまでなんとか暮らせてこれたのも彼らあってのことだと思っています。

 

わたしはあと1か月ほどで20代から30代の節目を迎えます。

ついに音楽の神様に見捨てられたような気もしますが、これからの生活に新しいライブや音源がないということで、ちゃんと生きていけるのだろうかという不安もありますが、彼らの残してくれた音楽や思い出がなくなるわけではないので、これからも強く生きていきたいです。

だって医者ロックはネバーダイですからね。

 

 

タイトルは「姫ゴト」の歌詞からとりました。

SEX-ANDROID/姫ゴト 音楽/動画 - ニコニコ動画

追いかけて雪国

SEX-ANDROIDの無期限活動休止前ラストツアーのため札幌へ行ってきた。

ライブは1日目も2日目もゆるいところはゆるく、演奏はかっこよくある意味でいつもどおりの内容であった。ベースの人が競馬の話をしすぎるといったアクシデントもありつつ、もう二度と同じ会場での演奏は見ることができないかもしれないと思うとさみしい。

 

2日目の午前中に中島公園内にある北海道文学館を訪ねた。前知識はまったくなく、桜を見に公園を歩いていたら発見して入ってしまった。

治安維持法のあおりで綴り方教育に取り組んでいた教師らが、共産主義的な教育をしようとしたという嫌疑をかけられて一斉に検挙された事件などはまったく知らなかった。教師らが教え子の作文に対してのコメントをつけているノートが展示されており、非常に心温まる教育的にすばらしい内容であったことが、なおさら事件の不合理さを感じさせた。

長島有や京極夏彦の展示がなかったのがなんとなく残念であった。過去の人たちはそれはそれで大事だが、これからに目を向けないことには文学は顕彰していけないんじゃないのと思う。

俳句よりも短歌のほうが活動している人口が多いことはどこも同じやなと思った。

 

2日目のお昼にブログ繋がりの友人とごはんを食べた。ときどきTwitterなどで接点があったが、10年近く会っていなかったけれども相変わらずおもしろい人であった。東京に来られたときに新橋に連行する約束をした。

 

行く前は寒かったらどうしようという心配ばかりしていたが、天気も良くあまり寒くなかった。東京や宮崎などより乾燥しているが、栄えている一方で自然が近くにあり、過ごしやすいところだと感じた。さらに自然がいっぱいあるエリアや栄えていないところはそれぞれ深淵っぽい感じがしなくもないが、私にとって札幌は明るく整頓されすぎているかもしれない。

抜歯おわる

左上と左下の親知らずを抜歯した。

左上は真横に生えており、歯茎を切開することとなった。

痛みがひどかったが、半月ほど経ちもうなんともなくなった。

 

しかし、親知らずの前の歯が怪しいといわれたため、かかりつけの歯医者に行って見てもらったところ虫歯になっていた。

 

少しけ削って詰め物をすればすぐなおるようであるが、簡単な処置で済むとしても虫歯はいやなものである。