抜歯と禁酒

30代、会社員、酒、本、バンギャ。

食べたいものを食べたいときに作れる能力

先日、柚木麻子「さらさら流る」を読みました。

「生い立ちゆえに抱えてしまったトラウマとかコンプレックスとかあってしんどいのはわかるけれども、それに甘えて他人をいじめたり攻撃したりしてはいけないし、そういうものがない恵まれた人が劣ってるわけではない」ということをえぐるように書いてあり、自分の心の弱い醜いところを撃ち抜かれるような気持ちがしました。ほとんど死ぬかと思いましたが、なんとか死にませんでした。

私は自らのコンプレックスから、それがなさそうに見える恵まれた人に対して、いじわるな気持ちを抱えるのは内心の自由だし、実際にそれを本人に伝えたり、危害を与えたりしなければそれでいいよねというスタンスです。 

 

そのあとで同じ著者の「BUTTER」を読みました。

木嶋佳苗がモデルとなっている連続殺人の容疑者を追う新聞記者 が主人公です。

「あーもう絶対わせじょやん、しかも出身が女子高の一番エッジ立ってる人だろ」と思いながら、ハラハラしながら読みました。

わせじょに限らず、高学歴と言われる女子には、仕事ができ、見た目もよく、性格もいいのになんか自己肯定感が低いという人がたくさんおり、この小説の主人公はそれと取っ組み合いの格闘をするわけです。気になる方は本を読んでください。

 

最近は自己啓発とまではいかないまでも、自己肯定感を高めるための勉強や作業をやっています。

家族の中での長女という役割、会社員としての役割、昔までさかのぼれば学生という役割などに自分を適応させまくってきた挙句に、自分の心にいくつものプロテクトがかかって、何がしたいのか、何が幸せなのかを見失っているように感じることが多くなってきてしまいました。

あんなにがんばってきたのに、家族はばらばらになり、実質の給料は下げられ、仕事をしないクソ上司のほうが給料が高く、好きなバンドは解散してしまいました。

これまでの過度な適応は生きていくためにやるしかなかった部分もあるので、その選択に後悔はないけれど、自分がやりたいことや自分の幸せだと思うことにつながってないがんばりだったのではないかと思っています。

何らかの役割をこなせているからOKという条件付きの肯定ではなく、なにもちゃんとできないダメな自分を受け入れないと自己肯定感は持てないのではないのかというところにたどり着きつつあります。

そのために何をやるのということですが、まずは自分を見つめなおす作業をやっていきたいと思っています。

いろいろなことをやってみて、そのときの気持ちや心の動きをよく見つめていきたいと思います。そして嫌なことや生産性のない向いていないことはなるべくやめていきます。

30年以上やってきた考え方の型や習性のようなものを変えるのは、ちょっと大変そうだなあというのが素朴な感想ですが、ぼちぼちがんばります。